さくさく読めるあっさりした内容で、日本仏教をお経の側面から概観するのに良いし、勉強になります。
私の方針は次の通りです。
聖典はまず読んでみる。聖典について書かれた周辺の情報は後からで良いと思います。
例えば、浄土三部経(訳文)を読んだ上で、この「お経のひみつ」を読むのと、 浄土三部経を知らずにこの本を読むのとでは、自分の理解が全く違うことになるでしょう。
同様の例として、コーランを読んでいるのといないのとでは、イスラームへの見方がまるで異なります。数多くあるイスラームに関する評論や解説を読むよりは、イスラームを根本から成立させているコーランを読んで自分で判断するのが一番だと思います。
この書で、なるほど、そうなのか、と勉強になった点はいくつもありますが、ここで忘れないようにメモをしておきます。
「バチカン公会議以前のカトリック信者は、葬式で意味のわからないお経を聞かされている日本人とまったく同じ状態におかれていた」(p.34)
カトリックでは以前はラテン語でミサが行われていたので、信者は意味が分からなかったとのこと。典礼が各国語で行われるようになったのは、第2バチカン公会議からですから、ざっと50年ほどの歴史にすぎません。カトリックの歴史の中では短いですが、半世紀は人の一生の中では長いものです。すでにラテン語のミサでは無く、自国の言葉のミサに親しんで育った人たちが過半でしょう。
第2バチカン公会議
「一般の仏教の経典では、むしろ同じようなことを執拗にくり返すことが多い。くり返すことによって、それがいかに重要なことなのかを教えようとするからである。」(p.54)
真理を一行で語っても、人は納得できないのだと思います。ある程度の量がなければ、人は得心しないのです。
■お経のひみつ / 島田 裕巳 (著) / 光文社新書